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「母の日」と菓子メーカーの不思議なつながり2021.05.06(木)

こんにちは、編集部のTT(ティティ)です。5月の第2日曜日は「母の日」ですが、この歴史をたどると、ある菓子メーカーとのつながりが見えてきました。

「母の日」を世に広めたアンナ・ジャービス女史

「母の日」にまつわる情報をたどるとその発祥は1907年、社会活動家のアンナ・ジャービス女史が「2年前に亡くなった母を追悼したい」という想いから、母親の好きな花である白いカーネーションを米国の教会で配った出来事に由来するようです。彼女の「年に一度母に感謝する気持ちを示そう」という想いは女性による社会活動の一環として米国中にひろまり、当時の大統領ウッドロウ・ウィルソン氏の心も動かしました。そして1914年、5月の第2日曜日が「母親のための祝日」として制定されることになります。

時が経ち日本では1931年、PTA(保護者と教職員の会)の母体となった「大日本連合婦人会」の結成に伴い、香淳皇后の誕生日であった3月6日を「母の日」として制定しました。森永製菓のサイト「モリナガデジタルミュージアム」によると、その5年後の1936年には森永製菓が各団体に呼びかけて「母の日中央委員会」を設立。その中で「森永母を讃へる会」を結成し、「森永母の日」行事を全国展開していきます。そして翌1937年の5月8日、9日には、20万人の母親をに無料招待した「森永母の日大会」(讃へる会主催、中央委員会協賛)が東京都の豊島園で開催され、懸賞応募により選ばれた「母を讃へる(たたえる)歌」などが野外ステージで演奏されるなどして大きな盛り上がりを見せたそうです。このイベントが新聞などで大きく取り上げられたことにより「母の日」の知名度が徐々に広まっていきました。

そして日本でも戦後の1949年ごろから、米国に倣い5月の第2日曜日を「母の日」として祝うようになっていきます。「母の日」を日本中に広めるきっかけづくりをしたのが森永製菓だったというのは意外と知られていません。もっとPRしてもいいのかもしれませんね。

ちなみに今年の同社の「母の日」にまつわる新製品は『森永ビスケット』シリーズの「ディア」と「ディアガレットサンド」です。4月6日から期間限定で全国発売されています。

「母の日の」歴史:

1907年 社会活動家アンナ・ジャービス女史が亡き母のために教会で白いカーネーションを配布

1914年 米国:ウィルソン大統領が「母親のための祝日」(5月の第2日曜日)を制定

1931年 日本:香淳皇后の誕生日に合わせ3月6日を「母の日」に制定

1936年 森永製菓の呼びかけで「母の日中央委員会」設立

1937年 東京の豊島園で20万人の母親が参加した「森永母の日大会」を開催

1949年ごろ アメリカに倣い5月の第2日曜日を「母の日」として祝うようになる

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